院長紹介
後藤 健文 Takefumi Goto
略歴
- 平成元年 防衛医科大学校卒
- 防衛医科大学校病院にて勤務
- 米国軍保健大学 トラウマリサーチセンター 留学
- 自衛隊札幌病院一病棟医長
- 平成15年3月当クリニック開院
所属
- 日本うつ病学会
- 日本精神神経学会
- 東京都精神科診療所協会会員
- 日本精神科診療所協会会員
資格
- 精神保健指定医
- 日本医師会認定産業医
ごあいさつ
後藤クリニックのホームページをご覧いただきありがとうございます。
医師になるとどうして医師を志したのですかと聞かれることが少なくありませんが、医師の中で何故精神科医を選んだのかと尋ねられます。もちろん、一つの理由だけで語ることは難しく、幾つかの要因が重なっているものです。
私の父は公務員で、インドに赴任いたしました。そこで私は生まれました。当時は今のようなグローバルな時代ではなく、当時の日本には渡航制限がありましたから海外に行くということが珍しい時代でした。そこで2歳まで過ごし、一時帰国してイラン国テヘランに6歳の時までいました。日本に来て、中野に住むことになりました。ウルトラマン・キックやチョップとなどが挨拶代わりにされるのですが日本のテレビを全然見ていなかったので、初めはただただ何が起こったかと呆然としました。緊張が取れてはしゃぐとペルシャ語がつい出てきてしまいみんなに驚かれました。
幼い頃から異文化に触れていたせいか、その土地、国民性の違いによって、様々な価値観や考え方があることを体感し、後年、精神科医を志す要因の一つになったような気がします。小学校2年になる前に神奈川に引っ越しました。ベットタウンとして人口がすごい勢いで増え、学校の建設が追いつかず小学校2年生の時はプレハブの校舎でした。昼休みは体育館を利用しました。学校帰りに田んぼに入っておたまじゃくしやザリガニを取ったり、草野球を日が暮れるまでしていました。朝は雑木林に入りカブト虫を取っていました。
小学校5年から塾に入り、受験しました。思春期心性のせいか、反発して、文学書などを乱読していました。医学部を目指すようになった転機は早逝した叔父の病院にお見舞いに行ったことです。そこで働く医師や看護師さんの懸命な姿を見てからです。運良く医学部に入っても何科に進むのか迷っていました。
大学5年になってから各科をローテートすることに加え、夏休みなどを利用して、国立精神神経センター(現在の国立精神神経医療研究センター)などで病院研修をしました。そして「病気」だけでなくいろいろな人の人生を知ることができる精神科に改めて興味を持ちました。ただ、外科や内科のような手技がないので心配でした。それを後押しして下さったのは精神科を回った時の先輩でした。未熟な私の話を根気よく聞いてくれて、親切にして下さり、精神科でやっていこうと思いました。その後も良き先輩に恵まれ、そして研修することができました。それには感謝しても感謝しきれない位です。
当時、精神科はマイナーで今のような身近な存在になるとは思いませんでした。研究科(博士課程)に入って、米国に留学させて頂きました。私の留学先の米国軍保健大学の近くにNIHがあり、多くの日本人も留学に来ていました。その時、他大学の事情も知り、自分の立ち位置も知りました。
精神科で扱う病気は年々増えてきており、病態も私が医師に成り立ての頃と随分と変わっています。それには医師として働き続ける限り勉強しなくてはいけないと思います。